彩色師
岩絵具彩色
彩雲(小山田)
法多山尊永寺
愛染堂
愛染明王は経典が弘法大師によりもたらされたと考えられていますが、その当時の図像などは残っておらず、密教の仏様にもかかわらず両界曼荼羅には現れず、その成立や伝来した経緯もたどれず、日本でのみ拝まれています。
『金剛峰楼閣一切瑜伽瑜祇経』という経典に愛染明王に触れる箇所があり、その特徴を忠実に表現したものが今に伝わる愛染明王だと思われます。
御姿は全身を赤色に染め、赤い円相を光背にして、金の宝瓶の上の赤い蓮華座に結跏趺坐しておられます。三つの目をつけた一面と六本の腕をもつ忿怒形に造られます。髪が逆立つ怒髪の上に獅子の首を表した冠を戴き、六本の手には五鈷杵、五鈷鈴、蓮華、そして弓と矢を持ちます。(ちなみに一本の左手は持物を持たない事が多い)
平安時代の後期になると信仰と造像が盛んになり、敬愛、息災、調伏、安産など殆んどの願いに効験があるとされて、信仰されました。特に人間の煩悩としての愛欲をそのまま仏の悟りに変える力(煩悩即菩提)を持つ仏様として、男女の縁結びの信仰、恋愛の本尊として愛染参りが盛んになりました。(余談ですが遊女と染物屋の守護神としても祀られていました)
愛染明王は経典が弘法大師によりもたらされたと考えられていますが、その当時の図像などは残っておらず、密教の仏様にもかかわらず両界曼荼羅には現れず、その成立や伝来した経緯もたどれず、日本でのみ拝まれています。
『金剛峰楼閣一切瑜伽瑜祇経』という経典に愛染明王に触れる箇所があり、その特徴を忠実に表現したものが今に伝わる愛染明王だと思われます。
御姿は全身を赤色に染め、赤い円相を光背にして、金の宝瓶の上の赤い蓮華座に結跏趺坐しておられます。三つの目をつけた一面と六本の腕をもつ忿怒形に造られます。髪が逆立つ怒髪の上に獅子の首を表した冠を戴き、六本の手には五鈷杵、五鈷鈴、蓮華、そして弓と矢を持ちます。(ちなみに一本の左手は持物を持たない事が多い)
平安時代の後期になると信仰と造像が盛んになり、敬愛、息災、調伏、安産など殆んどの願いに効験があるとされて、信仰されました。特に人間の煩悩としての愛欲をそのまま仏の悟りに変える力(煩悩即菩提)を持つ仏様として、男女の縁結びの信仰、恋愛の本尊として愛染参りが盛んになりました。(余談ですが遊女と染物屋の守護神としても祀られていました)
愛染明王は経典が弘法大師によりもたらされたと考えられていますが、その当時の図像などは残っておらず、密教の仏様にもかかわらず両界曼荼羅には現れず、その成立や伝来した経緯もたどれず、日本でのみ拝まれています。
『金剛峰楼閣一切瑜伽瑜祇経』という経典に愛染明王に触れる箇所があり、その特徴を忠実に表現したものが今に伝わる愛染明王だと思われます。
御姿は全身を赤色に染め、赤い円相を光背にして、金の宝瓶の上の赤い蓮華座に結跏趺坐しておられます。三つの目をつけた一面と六本の腕をもつ忿怒形に造られます。髪が逆立つ怒髪の上に獅子の首を表した冠を戴き、六本の手には五鈷杵、五鈷鈴、蓮華、そして弓と矢を持ちます。(ちなみに一本の左手は持物を持たない事が多い)
平安時代の後期になると信仰と造像が盛んになり、敬愛、息災、調伏、安産など殆んどの願いに効験があるとされて、信仰されました。特に人間の煩悩としての愛欲をそのまま仏の悟りに変える力(煩悩即菩提)を持つ仏様として、男女の縁結びの信仰、恋愛の本尊として愛染参りが盛んになりました。(余談ですが遊女と染物屋の守護神としても祀られていました)